人生、山あり谷あり

鳥居 静香

日本人会の皆様、はじめまして。ニュージーランド認定心理セラピストの鳥居静香と申します。この度は、このような機会をいただきまして、大変ありがとうございます。
さて、何をどこからどうお話したらいいのか、考えれば考えるほど難しくなっていくようなので、ごくシンプルに自分のバックグラウンドから時を追ってお話しさせていただこうと思います。

日本は埻玉県出身。日本航空の国際線スチュワーデス時代、ロンドン駐在中に知り合ったシンガポール人と結婚することになり、二人で新生活を始めるためにニュージーランドに移住。それ以来、かれこれ20年になります。

日本にいる間は、良妻賢母が理想の女性像だと信じて疑わないタイプの両親と社会的な環境の中で、どうしても私個人の理想や野心が抑圧されてしまうことが少なくなかったので、性別や年齢による差別が比較的少ないニュージーランドの水がとても性に合い、まさに「水を得た魚」のように飛び込み、泳ぎ始めました。まずは、教育学と言語学の学士号を取得することから始めたのですが、英語のハンディに加え、外国人であることのハンディが大きいことを痛感しました。今でも覚えているのですが、こちらの大学に入って初めての課題が、ニュージーランドの当時の教育政策を批評せよというもので、ニュージーランドの社会的・文化的背景を知らないことで、一時は本当に途方に暮れ、泣きながら取り組みました。

こうして振り返ってみると、つくづく「若かったな」と思うと同時に、あの頃は、なぜかいつも大変なことに挑戦し、苦労や痛みを楽しんでいたような、ちょっとマゾ的なところがあったな、と思い当たります。そして、そんな精神的マゾ(?)の内容を考えてみると、日本の学校教育で培われたと思われる勤勉さ、忍耐力、完ぺき主義などが混在していたと思われるのですが、結果として、大学をトップで卒業し、その後は奨学金で更に専門的な勉強を続け、最終的には博士号(言語学)まで取るに至ったのは、それらがすべて功を奏してのことと言えるでしょう。そんな中で、子供も生み育てるという「スーパーウーマン」をやっていたのですが、それも今思えば、良妻賢母ばかりが女性の人生じゃないということを、身をもって証明することに、深いところで動機付けられていたのだろうと思われます。
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しかし、さすがの「マゾ」もとても楽しむことのできない本当の苦しみの時代が・・・。博士号取得後、適した仕事が得られないつらさに加え、結婚生活も限界に達し、離婚というおそらく人生最大の試練を経験しました。身寄りのない地で、シングルマザーになり、あらゆる面で自立することを強いられ、当時は、生きていること・生きていくこと自体が、「生きていなければならない・生きていかなければならない」になってしまっていました。

そんな暗闇の中で、必死に光を求めて、セルフヘルプの本などを読み漁るうちに、徐々に心理学の方向に歩き始めました。就職活動は相変わらず困難で、外国人としてのハンディもかなり大きく感じていた矢先、たまたま、新聞でライフライン(公共無料電話カウンセリング)がボランティアのカウンセラーを募集しているのに目が留まり、応募。それに採用され、トレーニングを受け、テレフォンカウンセラーになったのが、実質的な新しい章の幕開けとなりました。ボランティアの経験を生かし、プロになろうと、思い切ってもう一度、大学院に行きなおす決意をしました。

私の専門はサイコセラピーで、日本語では心理療法と訳されます。心理療法とは、もともとフロイトが展開した精神分析から始まったものですが、その後、時代とともに理論的にも方法論的にも発展を続け、現在では、セラピストとクライアントが向かい合って、自由に話しあう対面法が基本で、精神分析よりも、相手のこころを受け入れ、共感し、支えることのほうが重要視されていると言えます。また、私個人は、専門にこだわることなく、一人ひとりのニーズに応じたカウンセリングをモットーにしています。

日本社会は、良くも悪くも「恥」の文化の上に成り立っているところがありますので、日本人は一般的に自己に対する理念が高く、人間としてほとんど必然的に経験する苦悩や痛みを、弱さイコール恥ずかしいことのように考える傾向が強いようです。特に、精神的な障害に対しては、まだまだ理解が低いため、社会の偏見や汚名を恐れて、あるいは、自分自身の偏見・汚名から、必要な助けを求められないというようなケースが少なくないようです。

人生、山あり谷あり。しかも、母国を離れて異文化の中での生活には、精神的なストレスの要因はたくさんあります。また、完ぺきな人間なんていませんし、完ぺきな人生なんてありません。(あるいは、逆に、何をもって完ぺきというかによっては、私たちはみなそれぞれに完ぺきということもできるかもしれませんが。)必要な時に、必要な助けを求められることは、大切な社会的能力・スキルのひとつです。また、何ごとにおいてもそうだと思いますが、問題が発展してから対処するよりも、できるだけ早期に対応するのが効果的です。自主的に、カウンセリングに来る方というのは、そういった判断力、行動力、勇気などを持ち合わせていらっしゃるわけですから、恥ずかしいどころか、素晴らしいことだと思っていただきたいですね。

「話してもしょうがない」、「話をして、どうなるんだ」というような言葉も時々耳にしますが、話すことの価値というのは想像以上に大きいものです。問題が専門家の助けを必要とするようなものでない場合は、信頼できる家族や友人に話を聞いてもらうことも大事です。(もちろん、話し方・聞き方という問題もありえますが。)日ごろから「困った時はお互い様」というような、隣人・友人のサポートネットワークを作っておくことが望ましいと思いますが、実際のところ、そういった助け合いの精神にのっとった人間関係を築くのは、なかなか容易でないのが、現代社会の特徴の一つのようでもあります。特に、家族や旧友のいない異国の地で、外国人あるいは移民として生活する私たちは、社会的に孤立してしまったり、疎外感を感じてしまうことが少なくありません。
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私は、心理セラピストとしては、ノースコートの自宅にカウンセリングルームを持ち、個人やカップルのさまざまな問題と取り組ませていただいておりますが、最近、それとは別に、ニュージーランドの内務省や社会開発省の支援を受け、日本人移住者のためのサポートグループの試みを始めました。皆さんが、安心して体験を分かち合ったり、いろいろな情報交換のできる場所を目指して活動しています。
サポートグループに興味のある方は、下記までご連絡ください。

Emailアドレス shizukatorii@gmail.com

www.aucklandtherapy.co.nz