シビバツ事件の顛末

平手で2回位なら夫は妻を打ってもよいか?スポーツの有名人なら刑事裁判で名前を伏せてもよいか?海外出張を頻繁にする大きな仕事を人するなら、犯罪歴が今後の仕事の妨げになるので、軽犯罪で初犯の場合なら無実にしてもよいか?

この様な質問への答えは一見明らかの様に思われます。すぐに聞こえてきそうな反論は次の様なものではないでしょうか?

平手打ちでも暴力は暴力、ましてや女性に対する暴力など大目に見る余地は全く無い。有名人もそうでない人も法の下には平等であるのは民主主義の常識、有名人だからと言って名前を伏せる事は断じて許されない。海外に行けなくなるかもしれない事が自分の仕事に大きな影響のでる人ならより気をつけるべきで、それを理由に無罪などとはもってのほか。

ところが現実の世界はそれ程簡単に結論をだせないものだと考えさせられるのが今年の3月に起こったシビバツ平手打ち事件です。ラグビーを観る人なら誰でも知っている被告人シティベニ シビバツはオールブラックスの現役選手です。

新聞によると一連の事件は次の様なものです。3月19日夜中の2時頃夫婦間で口論が起こり、シビバツが彼の妻の顔と右腕を平手打ちした。退いた彼女をなおも追いかけて来たので、彼女は二つのいすを投げつけて彼の進行を拒み、警察に電話を入れた。この事件を担当した裁判官は97キロのシビバツにたいして恐怖感を覚えただろう事を認定しています。シビバツによると直ぐに謝ろうとして彼女を追った。

その後シビバツは一旦家を出たが再び戻ったところ、妻の電話を受けて家に来ていた警察官に質問され、平手打ちした事を認めた。シビバツの弁護士によると妻は数時間痛みを覚えたが、治療が必要とするほどのものではなかった。ある人が新聞社に語った所によると、数日後妻は警察に電話を入れ、夫の起訴を取り下げる様に依頼したが、警察から拒否された。

これに対し、裁判官は今までの前例を破って彼(有名人)の名前の公表に踏みきり、慈善団体へ1000ドルの寄付を命じたが、有罪を認めたシビバツに対して罪そのものは無罪放免とするdischarge without convictionと言う判決を下しました。ニュージーランドでは2002年に施行されたSentencing Actによって、罪を認めた者に対して裁判官が全体の状況を考慮し無罪放免とする裁量が認められています。すなわち犯罪記録に残らないと言う事です。裁判官は名前の公表に踏み切った事自体がシビバツにとって十分な罰となっており、さらに有罪とする事は彼がした事に対して重すぎるとの見解をとっています。

シビバツの弁護士は彼について、今までに警察沙汰起こした事は一度もなく、酒も飲まず、定期的に教会に通っていると裁判官に陳述しました。
名前を伏せる事についての申請はシビバツだけでなく、妻の側からも出されています。その理由として名前の公表は妻にも恥もしくは当惑を感じさせ、罪の意識を持たせる。妻は今法律の勉強をしているが、一時的に世間の目にさらされる事によって将来の仕事に何らかの影響が出る。これに対し裁判官は名前の公表は妻への支援と同情を呼ぶだけのものであり、将来の法律関係の仕事になんらの影響を与えないとしてこの申請を拒否しました。さらにこの裁判官は司法の公開に対する社会の関心の重要性と個人の権利の重要性を考慮し、犯した罪の軽重とその事の結果とのバランスをも考慮しなければならなかったと言っています。

シビバツはフィージーのパスポートで海外へ行っているが、有罪が確定すると多くの国で入国できなくなる可能性がある。そうなれば彼の仕事に影響があるばかりでなく、家族の将来的な収入を危険にさらす可能性も出てきます。つまり罰の影響が妻へも大きく及ぶと言うことです。

この辺りの影響までを考えると、暴力は暴力、名前を公表した位で刑罰を逃れるのはけしからとする立場の人もちょっとその勢いを失わないでしょうか?

名前を公表する事の重さについて、シビバツは世間でよい評判の英雄的な存在であったので、名前の公表はその評判を大いに落とすもので、その意味でdischarge without convictionは適切であるとしています。実際これが普通の人であればマスコミの話題に上る事なく、その人の生活はほとんど今までと変わらないだろう事と比べると明らかだと裁判官は言います。

裁判の結果を受けて後、ラグビー協会は雇用契約書にある職業倫理に反する行為として独自の罰を課しました。二度とこの様な事がない様にと言う警告と共に、彼の牧師さんによってアレンジされた結婚指導カウンセリング(Marriage guidance counselling)を受ける事が決められました。

私はこの短い記事で裁判所の判断の是非を問うつもりは毛頭ありません。裁判所で戦わされている主張やその対応にニュージーランドさが現れているのではないかと点に関心を持っています。たとえば、シビバツの人柄のよさを訴えるために、彼の弁護士は“酒も飲まず、定期的に教会に通っている”と述べています。酒は飲むし、教会へ行った事のない自分の場合だったらどう言えばよいのだろうかとか。日本の裁判で人柄のよさを訴える場合、“毎週お寺参りは欠かさない”との陳述の重みはどのくらいのものだろうか等と考えてみるしだいです。

さらには弁護士と裁判官の間で交わされている議論のせめぎ合いを知る事によって、日ごろの議論に生かせてもらえれば幸いかと考えています。(2007年5月)

では頭の体操をかねて最後にちょっと意地悪い練習問題を!
私的な時間に軽い酔っ払い運転で起訴されたタクシー運転手が、有罪で免停になったら仕事に差し支える、家族が食べていけなくなるのでdischarge without convictionすなわち無罪放免にして欲しいと訴えた場合、上記のケースと同じ様に扱われるべきでしょうか?

(オークランド日本会会報2007年8月101号より引用)