www.ウエブサイトのうれしい副産物

西村 純一
教員、弁護士、合気道師範、父親そしてオークランド日本人会広報部長

私は現在日本人会の会報の編集をお引き受けしています。会員のいろんな方に気軽に記事を書いて送ってもらえればと思っているのですが、こちらから捜し当てお願いしないと中々原稿がもらえないのが現実です。あまり難しく考えずに身近かで起こった事や興味深いと思われる情報を他の会員の皆さんに知らせるくらいの感覚で半ページ位でも書いてもらえればと考えています。今回はその先陣を切って私の周りで起こったウエブサイトにまつわる2,3の話題をアラカルト的に書いて見ました。

合気道

私は仕事と合気道で簡単なウエブサイトを二つ出しています。私の子供が小学生だった時にコンピューターの検索練習か何かで「自分と同じファミリーネームを持つニュージーランドの有名人を調べてその人について発表する」と言う宿題が出ました。早速に私の息子がファミリーネームを検索すると出てきたのは合気道をしてるお父さんでした\(^^)/。

合気道・武育会のウェブサイト →

オークランド日本人会の会報の過去に発表された記事の中で一回限りの会報の記事で終わらせるのはもったいないと考えるものを、西村のお勧め記事と言う形でご本人の許可のもと私のウエブサイトに転載しています。

その中に今は日本人会役員として活躍頂いている橋本直江さんの「難民について考える」があります。この記事を覚えていらっしゃる方もいると思います。橋本さんはその昔(?)、国連難民高等弁務官事務所の緒方貞子女史の下、マレーシアやバングラディシュなどで難民支援の活動をされていました。ニュージーランドに来てからは移民局で難民認定官のご経験もあります。難民問題は自分には関係ないと思う人でも、日本とニュージーランドの難民政策の違いを知ることはそれぞれの文化背景を知る事につながる事、難民問題を語れる日本人はほとんどいない事を考え、編集部より強く原稿を依頼しました。

この橋本さんの記事を私のウエブサイトで見たと言う日本にいる人から私にメールが入りました。この人は橋本さんと難民支援活動をされたもと同僚とかで、近い内に当時の人が集まって同窓会を計画している、連絡先の分からなくなっていた橋本さんの連絡先を知らせて下さいとのメールでした。昔の同僚と連絡の取れた橋本さんに喜んでもらえたのはもちろんですが、これはまさにウエブサイトの副産物とも言うべき効用であったかと考えています。

この副産物が私にも最近回って来ました。こちらへ来てから25年以上も音信不通になっていた大阪教育大学時代の同期生、吉村から突然メールをもらいました。「その後ニュージーランドでどうしているかと合気道、西村、ニュージーランドと検索すると出てきてビックリしました」と言う事で連絡が付く様になりました。吉村は定時制工業高校から色々人生の回り道して大学へ入ってきた変り種で、本人曰く「泥沼人生のトップ」学生で、私より5歳上でした。どちらも酒が好きで、よく一緒に飲みに行っては人生のちょっと先輩としてまだまだ若かった私に人生を語ってくれました。その一方で本人曰く、当時の私の影響を受けて彼は同和教育推進校や夜間中学でも教えていたそうです。そうなんです大阪には義務教育すら受けれなかった日本人、在日の韓国人や朝鮮人、中国からの引き上げ帰国者を対象とした夜間中学があるのです。一番多い年齢層は60歳から80歳だそうです。「夜間中学では、生き証人から、たくさんの優しさと勇気を頂きました」と言う吉村と次回日本へ行った時に会えるのを本当に楽しみにしています。

もう一件この様な話もありました。同じく最近私のウエブサイトを見つけたとして、日本で私が中学校の教師(ちなみに理科の先生)をしていた時に担任をしていた山田ユウコ(仮名)からメールを受け取りました。このユウコは複雑かつ難しい家庭に育って、中学校2年生までは隅っこにいる勉強の出来ないただおとなしい子だったのですが、3年生になる頃には警察にもごやっかいになるりっぱな問題児になっていました。ある日いわゆる生徒指導でこのユウコを呼び出して話している時に本人が私に言い放しました、「先生たちはAさんがこの学校で一番悪いと思っているけど、本当に一番悪いのは私だ」と。まだまだ新米の先生だった私はその時そっとつぶやきました。「そっそんな事、クラス分けの前に言え(^_^;)」と。

でもユウコから受け取ったメ-ルには次の様にありました。

「お久しぶりです。突然のメールでびっくりされたかと思います。偶然、サイトを見てびっくりしました。思い出して頂けるでしょうか?中学時代、最後の問題児(笑)山田ユウコです。私達の卒業後、ニュージーランドに行かれたのは、聞いていましたが、弁護士をなさってたとは、驚きました。私も今、40歳です。あれから、25年たつのですね。先生と駅でばったり会って、逃げ出した事や卒業後、自宅にアルバムを届けて頂いた事、そして、お別れ会に参加した時に先生が私に来てくれたのかと言って下さったのに、私はツレに会いに来ただけやと言ってしまい、先生に悲しい顔させた事を今では悔やんでいました。先生のサイトを見つけた時、驚きましたが、あの時、言えなかったごめんなさいが言える事が嬉しく思います。無事にこのメールが先生に届く事を願って。ひとまずは、ご挨拶?まで」。
サポートグループに興味のある方は、下記までご連絡ください。

敬語が使える様になっているとまずはビックリしました(*´∀`)。私もこのユウコの事をよく覚えていて家内にもよく話していた様です。「あの山田ユウコからメールが入った」と言うだけでユウコに会った事のない家内にも直ぐに話が通じていました。ユウコは今は東京で女優業をしていました。

さらなる副産物もありました。大阪でこのユウコの隣に住んでいて、同じく私が担任をしたことのある赤松さん(実名(^-^))が今日本で弁護士なっている事をこのユウコから知りました。今度は私がウエブサイトで検索して連絡先を知りました。既に何度か連絡を取り合いましたが、ニュージーランドのそれと比べて日本の法律がどうなっているか等も時々聞くことが出来、仕事上でも有益な再会となりました。いろいろとためになる話を昔の教え子から教えてもらえるのは本当に感慨深いものがあるとつくづく感じています。

「イヤー、ウエブサイトって本当にいいですね。」と誰かの物まねをしたくなる様な出来事でした。

juniorhigh

広島平和公園への修学旅行 (左端:筆者)